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女性の地位向上を、「母の日」広めた弘前女学校長

2018.05.13

ファニー・グレー・ウィルソン(提供・青山学院資料センター)

ファニー・グレー・ウィルソン(提供・青山学院資料センター)

 13日は母の日。米国発祥の母の日を日本に広めたのは、弘前女学校(現弘前学院)の第9代校長で、「全国母の会」の会長を務めた米国人女性ファニー・グレー・ウィルソン(1868~1957年)だ。昭和初期、母の日を通じて女性の存在や役割の重要性を啓蒙(けいもう)し続けた功績は今に語り継がれている。

 ファニーについて研究している、弘前市在住で弘前学院聖愛高校の元英語教諭柏崎節子さん(79)によると、ファニーは米テネシー州アテネ生まれ。19歳だった1887(明治20)年、世界旅行の途中、姉のメアリー・エマ・ウィルソン(後に第6代弘前女学校長)ら家族と共に初めて来日。当初の滞在予定は3カ月だったが、宣教師が不足している実情を知って心を揺さぶられ、予定を変更して2人で日本に残留。ファニーは後に設立されることになる弘前女学校の本校でもある、函館の遺愛(いあい)女学校などで教壇に立った。

 1900(同33)~02年に青山女学院校長を務め、東奥義塾の宣教師と結婚。03年に弘前女学校長となり、04年に双子の誕生で辞した後も「弘前母の会」を設立して会長となるなど、津軽の女性たちの教養を高めるために活躍した。

 26(昭和元)年には、青山女学院時代に発起人として設立に関わった「全国母の会」の会長に就任。32(同7)年5月8日、東京・日比谷公会堂で、わが国で初めて「母の日」大会を開催した。

ファニーがわが国で初めて開いた母の日の公式行事「『母の日』大会」のプログラム。子どもたちの歌や踊りなどが繰り広げられた様子が分かる(提供・青山学院資料センター)

ファニーがわが国で初めて開いた母の日の公式行事「『母の日』大会」のプログラム。子どもたちの歌や踊りなどが繰り広げられた様子が分かる(提供・青山学院資料センター)

 ファニーの自伝や、青山学院資料センターに残る当日の大会プログラムなどによると、当日は土砂降りにもかかわらず3千人以上が集合。集会の後、500人が銀座を経由して二重橋まで街頭行進し、皇居前で「母の歌」と君が代を歌ったと記録されている。ファニーは宮中にも参内し、皇太后、皇后両陛下に花かごなどを贈ったという。

 ファニーはこの日のことを「私たちの仕事の歴史において特別なものであった。日本で母の日の行事が公式に認められた最初の年であったからである」と書き残している。

 また、ファニーは37(同12)年の母の日には、アメリカ向けのラジオ放送で、日本で行われている母の日の行事について15分間にわたり紹介している。

 ファニーは戦中に米国に戻り、再び日本の土を踏むことなく57(同32)年、ニューヨーク州コロニーで89歳で死去。東京多磨霊園に夫と共に眠っている。

 4月に著書「ウィルソン姉妹」を自費出版した柏崎さんは「ファニーはわが国の女性の地位や教養を高めるため貢献した。母の日が、無償の愛を与える母親の存在の大きさを思い、感謝する一日になれば」と話している。

(東奥日報社)