西北

【青森LOVERS Web連動企画】私が野呂理紗子(五所川原)です。/津軽金山焼の陶芸家 日々創作 窯に生きる

2017.01.29

 <のろ・りさこ 1978年、黒石市生まれ。黒石高校を経て埼玉大学教育学部を卒業後、2002年に五所川原市で開かれた「世界薪窯大会」にボランティアとして参加したのをきっかけに、津軽金山焼の作家となることを決意。株式会社津軽金山焼製造部長。五所川原市在住>

<のろ・りさこ 1978年、黒石市生まれ。黒石高校を経て埼玉大学教育学部を卒業後、2002年に五所川原市で開かれた「世界薪窯大会」にボランティアとして参加したのをきっかけに、津軽金山焼の作家となることを決意。株式会社津軽金山焼製造部長。五所川原市在住>

 五所川原市東部の丘陵に津軽金山(かなやま)焼の窯はある。窯元に住み込み、自身の陶器制作はもちろん、窯焼きのスケジュール管理や研修生の指導、県外での出張販売と、多忙だが充実した日々を送る。「一年一年が本当にあっという間に過ぎていきます」と苦笑する。
 金山の池から採った粘土をこねて、丘陵のアカマツを燃料に最高1350度の高温で「焼き締める」のが津軽金山焼。その素朴で力強く、深みのある作風は多くのファンを引き付けてやまない。高級旅館や和洋の人気料理店からの引き合いも多いという。
 「電気やガスの窯と違い燃料がまきなので、灰の付着による色彩の変化などコントロールできない要素が多い。だからこそ、作品一点一点が異なる風合いになる。そこが面白い」。津軽金山焼の魅力をそう語る。
 図画や工作が得意な子どもだった。小学校では粘土でショートケーキを作り、細やかなクリームの飾りやイチゴを再現すると、先生や級友が「本物みたい」とほめてくれた。その喜びが、ものづくりの原点になった。
 転機が訪れたのは、平川市のパン店で働いていた2002年。五所川原市であった陶芸イベントのボランティア募集の告知がきっかけで、初めて津軽金山焼を訪ねた。
 「車で丘を登っていく中で、ここで働きたい─と直感で思ったんです。自然に囲まれた窯の雰囲気、ゆっくりと流れている時間。すべてが気に入った」という。その年のうちにさっそく窯元の松宮亮二さんに弟子入りした。
 それから15年が過ぎた。「数え切れない」というさまざまな失敗を乗り越え、各地で個展を重ねるなど、今やすっかり古株になった。現在は窯元の製造管理を担い、東南アジアを中心とした外国人研修生の受け入れなど後進の育成にも力を注ぐ。
 最近、モンゴルの研修生が彫刻の技法を生かし制作した作品に刺激を受けた。「人形などの器以外の作品にも積極的に取り組みたい。作家としての挑戦を続けていきたい」と力を込める。当面の目標は「多忙のためしばらくやっていなかった個展を開くこと」。柔和な笑顔でそう語り、電動ろくろに向かった。

(東奥日報社)